世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~

谷垣雄三はなぜニジェールに行ったのか?ヤバい生い立ちとは?【世界ナゼそこに?日本人】

2018年7月9日(月) 21:00 ~ 22:48放送

【世界ナゼそこに?日本人】に、

ニジェールで活動をされていた

医師の谷垣雄三さんが特集されます。

 

普段生活していると、

あまり関わりがないアフリカ・ニジェール

で、どのような活動をされていたのか

気になったので調べてみたいと思います。

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医師国家試験をボイコット?谷垣雄三のプロフィール

名前谷垣 雄三
出身地京都府峰山町
(現・京丹後市)
出身大学信州大学医学部
生年1941年
没年月日2017年3月9日

 

幼い頃から正義感が強く、

曲がった事が大嫌いで、

いつもみんなのリーダーだったそうです。

 

成長するにつれ、

困った人を助けたい

と思いを持つようになり、

その思いから医師を目指し、

信州大学医学部へ入学しました。

 

入学した1961年、

時代はいわゆる学生運動真っ盛り。

谷垣さんも学生運動に参加しました。ww

 

医学部卒業後に無給で働かされる

インターン制度に反対したのです。

 

そんな時代があったんですね。

 

1967年に大学を卒業しますが、

国家試験ボイコット

を行い、

医師免許がない状態だったそうです。

 

かなり、ヤバいですねww

 

その後、1970年、

谷垣さんは無事?!医師免許を取ると、

町の病院に勤務。

 

その後も町の病院を転々としながら、

整形外科、胸部外科、腹部外科、麻酔など

様々な医療を経験し、

腕を磨いていきました。

 

またプライベートでは、

29歳の時に

学生運動のときに知り合った

静子さんと結婚されます。

 

学生運動のおかげですね。ww

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ニジェールとは?

日本から乗り継ぎを経て、

およそ25時間かかる

西アフリカの内陸国です。

出典:e-foods

多民族が共生する

共和制国家で、首都はニアメ。

 

1960年に独立するまで、

フランスの植民地であったため

公用語はフランス語です。

 

国名は、国を流れる

ニジェール川(ラテン語で”黒い”)に

ちなんでつけられており、

 

隣接するナイジェリア(NIGERIA)

とニジェール(NIGER)は

同じ地域を指しているが、

旧宗主国を異にする為、
(ナイジェリアは旧イギリス植民地)

両地域が別々に独立した際に、

現在のように

別の国を指すこととなったそうです。

 

国土の3分の2がサハラ砂漠です。

 

経済状態は非常に悪く、

国民の約60%が

1日1ドル以下の生活をしており、

慢性的な食糧不足の問題を抱えています。

 

また農業が主産業にも関わらず、

耕作可能な土地は

国土の10%ほどしかなく、

十分な作物を作ることができません。

 

また、降雨が少ない上、

気候による被害も受けやすいため、

深刻な食糧難にも陥ることもあります。

 

また、貧困が原因とみられる

犯罪率も高く、テロ組織なども多いため、

治安は必ずしも良くないのが現状です。

 

というか、

日本政府は、北緯15度より北の地域を

危険度レベル4(退避勧告)を

出すくらいヤバいです。

 

ちなみに、

他の地域もレベル3、2だけなので・・・

 

なぜ、谷垣さんは、

こんな危険な場所で働くことを

決意したのでしょうか?

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なぜニジェールに?どのような活動を?

人生の転機は38歳の時でした。

その時、

谷垣さんが見つけたのは・・

海外勤務医の募集

でした。

 

ニジェール

石油会社が専属医師を捜していたのです。

期間は、1年半。

 

海外での活動を志していたこともあり、

戸惑う奥さんをなだめ、

1979年

単身でニジェールに向かったそうです。

 

そこで目にしたのが、

想像を絶する状況だったそうです。

 

なんと、当時メスを持てる外科医が、

国全体で、3人!!

 

期間が終了し帰国しますが、

このままでは・・・。

 

そこで、一念発起し、

1982年

JICA(国際協力機構)からの派遣として、

再度ニジェールに、

今度は、奥様同伴で向かったそうです。

 

10年間、国立病院で勤務後、

1992年、地方医療の為、

テワッサにベッド数100の病院を

自費で建設します。

 

自身も医療を行いつつ、

ニジェール人医師2人を育て、

援助に頼らない、

外科医療を始められたそうです。

 

しかし、悲劇がすぐそこにありました。

 

1999年、

奥様静子さんが現地の風土病にかかり

他界されてしまいます。

 

さらに、

2001年には

JACAからの支援が打ち切られます。

そして、なんと、

自費で建設した病院が

国有化されてしまいます。

(つまり、取り上げられてしまいます。)

 

国が荒れていると、こんなことが

あるんですね。

こわっ!!

 

しかし、谷垣さんは、

諦めません。

自力で医療活動を再開します。

 

なんと、また新たに、

ベッド数100の病院を建設します!

もちろん自費で!!

 

いくら、人件費が安いといっても

それだけの病院となると、

やはり莫大な費用がかかったそうで、

建設費8000万円だそうです。!!

 

そこで、谷垣さんが目指していたものは?

というと、

貧しき人の為にお金のかからない医療

アフリカの文化を理解し、
現地の状況に即した医療

 

その為、かなり、

涙ぐましい経費削減もされているそうで、

手術用手袋はなんと、

台所用のゴム手袋、

しかも繰り返し使用します。

(もちろん煮沸消毒はします)

 

さらに、

点滴液も自作しているそうです。

確かに、

漫画JINでも作っていましたが・・。

 

徹底されていますね。

 

そんな徹底した状況で、

なんと年間1000件の手術を

こなしていたそうです。

 

すごい!!

としか出てきませんね。

 

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まとめ

いかがだったでしょうか?

  • 幼少期から正義感が強く、それが元で医師になる
  • 海外勤務の希望もあり、ニジェールに渡航する。
  • ニジェールの医療の現状を知り、本格的に移住を決意する
  • 10年勤務医として従事したのち、自費で地方に病院を建設
  • 奥様の死別・病院の国有化と苦難が立て続けに起こる
  • 再度自費で病院を建設。
  • 年間1000件の手術をこなしていた

さて、そんな谷垣さんも、

昨年2017年に他界されてしまいました。

 

ご冥福を祈るとともに、

今後、

このニジェールでの医療はどうなるのか

と疑問が出てきますね。

 

まぁ、もちろん

「本当の自立」を目指されていた

谷垣さんのことですから、

たくさんの医師を育たれたことだと

思いますが・・・

 

 

それでは、最後まで

ご覧頂きありがとうございました。

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