世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~

武辺寛則の死因が壮絶だがパイナップル栽培でガーナアチュワ村が凄いことに!WIKI出身地や大学は?

『世界ナゼそこに?日本人』にアフリカガーナ

で尊敬されているという日本人、

武辺寛則(たけべ ひろのり)さんが特集されます

 

ガーナで日本人といえば、黄熱病研究のため

志半ばで倒れ、現在の千円札の肖像画で

有名な野口英世さんが有名ですが、

なんとこの武辺寛則さんは今現在

ガーナでその野口英世さんより尊敬されている

そうです。

 

凄い方ですね。

何がそんなに凄いのか?と言いますと、

ガーナの貧村だったアチュワ村でパイナップル

の栽培を推進されその後アチュワ村の現在が

凄いことになったのだそうです。

 

そんな武辺寛則さんですが、実は

志半ばの27歳という若さでお亡くなりに

なったそうです。

その死因というのが・・・

 

今回はガーナで尊敬されている日本人の偉人

武辺寛則さんの出身地や大学など

wikiプロフィールや経歴、死因について

ガーナ・アチュワ村に向かった理由や

パイナップル栽培の苦労!今現在のアチュワ村

についても調べてみたいと思います。

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武辺寛則さんの出身地や大学などwikiプロフィールや経歴

出典:NAVERまとめ
名前武辺寛則(たけべ ひろのり)
生年月日1961年
没年月日1989年2月25日
出身地長崎県佐世保市
所属JICA青年海外協力隊

武辺寛則さんは長崎県佐世保市で生まれ育ち、

大学卒業後は福岡にある商社に勤めていた

そうです。

 

しかし、入社して2年たった25歳の時に、

突然会社を退職され、青年海外協力隊(JICA)

のボランティア隊員の研修を受け、1986年

西アフリカにあるガーナ共和国の首都アクラ

から西へ120kmにあるアチュワ村へ

派遣されます。

 

そもそも、武辺寛則さんはナゼ海外、しかも

青年海外協力隊としてアフリカのガーナに

渡ろうとされたのか?

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武辺寛則さんがガーナ・アチュワ村に向かった理由!

何故、商社に勤めていたサラリーマンだった

武辺寛則さんがガーナのアチュワ村へ

行くことになったのか?

 

気になりますね。ww

実は、武辺寛則さんは少年時代に

新聞にアフリカの困っている人たちを

助けている青年海外協力隊(JICA)についての

記事をみてから、

自分もいつかアフリカに行って困っている人達

の役に立ちたいと想っていたそうです。

 

凄いですね。

普通少年時代に想ったことをずっと忘れない

ってなかなか出来ないですよね。

 

そんな想いをずっと持っていた武辺寛則さんは

25歳になった時に思い切って青年海外協力隊

に応募することにしたそうです。

 

そしてその派遣先こそが、ガーナのアチュワ村

だったというわけです。

 

武辺寛則さんが派遣された当時、アチュワ村は

人口たった300人程度、電気や水道などの

インフラも全く無く、村民全員が自給自足で

なんとか生活しているという状況だった

そうで、ガーナの中でもかなり貧しい地域

だったそうです。

 

そんなアチュア村には実は、武辺寛則さん

以前にも2人ほど青年海外協力隊の隊員が

派遣されていたそうですが、

ほとんど効果がなく、武辺寛則さんが派遣

される際に、(武辺寛則さん)でダメだったら、

今後この村には派遣しないと言われていた

そうです。

 

凄いプレッシャーですねww

 

そんな中、武辺寛則さんは奮闘されていくこと

になります。

武辺寛則さんのパイナップル栽培の苦労がヤバい!

まず、武辺寛則さんがアチュア村で取り組んだ

のが養鶏だったそうです。

 

実はガーナ人は卵が大好物だそうで、

養鶏を盛んにして現金収入を増やして行こう

と考え、取り掛かったそうですが・・。

 

実際には、村人にはその日食べるものすら

ない状況だったそうで、そんな村人にとって

エサ代やワクチンが必要になり、

病気などで全滅も考えられる養鶏は借金だけが

残ってしまうかもしれない養鶏は

現実問題として到底不可能なものだった

そうです。

 

これには武辺寛則さんも、アチュア村の現実

貧困が普通ということがやっと理解できた

そうです。

 

とはいえ、干ばつがあるたびに

村が苦しむ構図はなんとか変えないといけない

と武辺寛則さんは考え、新プロジェクトを

立ち上げます。

 

それが、パイナップルの栽培でした。

 

養鶏での失敗を元に、リスクが少なく、

村人が参加しやすいものとして、

アチュア村で数人が栽培していた

『ファンティパイナップル』というものに

目を向けます。

 

実はこのファンティパイナップルはこの地域

が原産だそうで、酸味が少なく、甘みが多い

として首都アクラでも大人気だったそうです。

 

村ではこのァンティパイナップルを自分たちが

食べるためだけに数名が栽培していたそうで

干ばつにも強く、人気も高いことから

武辺寛則さんはこれを大規模に栽培し、

販売することが出来れば、村に現金収入を

増やすことが出来ると考えます。

 

ところがそんないいことずくめの

パイナップル栽培にも問題点がありました。

 

実はパイナップルの栽培には

そもそもの苗自体も高く、さらに

収穫まで1年半も掛かってしまうそうです。

 

その日の食べることさえ大変な村人にとっては

難しかったそうですが、武辺寛則さんは

各国の大使館を周り援助を要請し、

なんとか苗の購入を成功させます。

 

またそんな苗を持って武辺寛則さんは、村人に

一緒にパイナップル栽培を始めようと声を掛け

ますが、村人は全体の3分の1しか

集まらなかったそうです。

 

それでもなんとかスタートしたパイナップル

栽培ですが、アフリカの人たちにとって

畑の栽培といえば焼き畑が一般的だったそうで

それだと、すぐに土壌が悪くなることを知って

いる武辺寛則さんはじっくり畑を耕すことから

始めて行ったそうです。

 

当然、農業用の機械なんてあるはずもないので

手でクワを持ち耕したそうですが、

村人にとっては、そんなことを知らないので

畑を耕す作業はかなりの苦痛だったそうですが

武辺寛則さんは先頭に立ち働いて行ったそう

です。

 

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武辺寛則さんの死因が壮絶!

さて、そんな武辺寛則さんですが、

ある時マラリアに掛かって倒れてしまった

そうで、それでも畑に行こうとする武辺寛則

さんでした。

そんな武辺寛則さんをみた村民は、

なぜそこまで村のためにするのか?

と尋ねたそうです。

 

すると、武辺寛則さんは

アフリカの困っている人を助けたいという

夢を語ったそうです。

 

すると、そんな武辺寛則さんをみて、

それまで否定的だった村の人たちも少しずつ

協力するようになって行ったそうです。

 

そしてそんな武辺寛則さんに対し、村人は

日本に帰っても村の人間という証として

村の3番目の長老(ナシビビ)になってくれと

行ってくれたそうで、若干26歳にして

長老に就任されたそうです。

当然外国人である武辺寛則さんが長老になる

なんてかなりの異例だったそうです。

 

そんな武辺寛則さんに不幸が襲い掛かります。

 

パイナップルの栽培も順調に動き出し、

収穫を目前の1989年2月、

村に病人が発生したため、武辺寛則さんが

車を運転して病人を搬送していたそうです。

 

ところが、隣町に向かう武辺寛則さんが運転

する車がハンドル操作を誤り、転落事故

が起こり、その後治療も虚しくわずか27歳

でお亡くなりになってしまったそうです。

武辺寛則さん亡き後の今現在のアチュワ村が凄いことに

夢目前死して非業の死を遂げた武辺寛則さん

ですが、亡くなってから半年、収穫を迎えた

パイナップルは首都アクラに出荷されるように

なりアチュア村に現金の収入が増えて行った

そうです。

 

しかも人気はガーナ国内に止まらず、

ヨーロッパにまで輸出するようになったそう

です。

 

めっちゃ凄いじゃないですか!!

 

そして、そんな現金収入を元に、村には

電気、水道などのインフラが整備され、

それまでもっとも貧しい村だったアチュアは

一転して豊かな村へと変貌を遂げて行った

そうです。

 

非業の死を遂げた武辺寛則さんの夢は、

亡くなった後にですが現実のものとなった

というわけですね。

 

その後村人は武辺寛則さんの功績を称え、

両手でパイナップルを掲げる記念碑を建て、

毎年2月には村では盛大なセレモニーが開かれ

武辺寛則さんを讃えているそうです。

 

また武辺寛則さんは、遺言を残していたそうで

残されたご家族はその遺言を元に、

アチュア村に学校を建てられたそうです。

 

確かにこれだけ村に貢献してくれた人となると

アチュアの村人が亡くなって30年たっても

讃えているのはよくわかりますね。

 

素晴らしいの一言ですね。

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

今回はガーナで尊敬されている日本人の偉人

武辺寛則さんの出身地や大学など

wikiプロフィールや経歴、死因について

ガーナ・アチュワ村に向かった理由や

パイナップル栽培の苦労!今現在のアチュワ村

についても調べてみました。

 

26歳とかなり若い年齢でお亡くなりになった

武辺寛則さんですが、その偉業は亡くなった

後もガーナのアチュワ村でこれからもずっと

語り継がれて行くんでしょうね。

 

というか、日本人が武辺寛則さんのことを

全く知る機会が無かったですが、

こんな立派な方のことについて日本人も

少しでも知ることになればいいですね。

 

それでは、最後までご覧いただき

ありがとうございました。

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