世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~

野内与吉がなぜ、マチュピチュで村長になったのか?【世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~】

世界ナゼそこに?日本人に、

野内 与吉(のうち よきち)さんが

特集されます。

 

野内さんは、

あのペルーのマチュピチュ遺跡の麓にある

マチュピチュ村の初代村長になられた方で

マチュピチュを世界遺産に押し上げた

日本人なんです。

 

今回はそんな野内 与吉さんの

経歴や、マチュピチュ行った理由

また家族(嫁・子供)や子孫、

そして生まれ故郷の大玉村とのその後

について紹介してみたいと思います。

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野内与吉さんのプロフィール

出典:http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v19n3/v19n3_nouchi.html
名前野内 与吉(のうち よきち)
生年月日1985年11月18日 – 1969年8月29日
出身福島県大玉村
職業マチュピチュ村村長、その他
家族先妻:マリア・ポルティージョ

5人の子供(長男は早世)

後妻:マリア・モラレス

5人の子供

 

お子さん多いですね。ww

 

ただこれだけ見るだけだと、

ペルーのマチュピチュ に

行かれた理由がよくわかりません。

 

野内さんのご実家は、

もともと裕福な農家だったそうですが、

その野内さんが、

 

なぜ、

ペルーしかも当時は全く無名の

マチュピチュ

に行くことになったのか?

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なぜ、ペルーのマチュピチュに行ったのか?

 

1917年

野内さん21歳の時、

海外で成功したい

という思いを抱いて、

 

ゴム景気に沸くペルーに契約移民として

横浜から出発されました。

 

ペルーでは、

農園で働いていたそうですが、

現地の労働条件の相違があり、

1年で辞められたそうです。

 

今でいう、ブラック企業ですね。ww

 

その後、

アメリカやブラジル・ボリビアを放浪し、

1923年にまたペルーに戻ります。

 

戻ったペルーでは、

ペルー国鉄

クスコーサンタ・アナ線(通称FCSA)に

勤務され、

電車の運転や線路拡張工事に携わったそうです。

 

 

また、この時期に

マチュピチュに定住するようになります。

 

元々は、勤務先の事情で

マチュピチュに行ったんですね。ww

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村の発展に貢献

その線路拡張工事で、

マチュピチュにも線路を繋げたものの、

今でこそマチュピチュといえば、

世界遺産

に数えられるほど有名ですが、

当時、

マチュピチュ自体が無名であり、

村自体が全く発展していなかった

 

非常に暮らしにくい状態だったそうです。

 

そこで

野内さんは、

マチュピチュ村に

・川から水を引き畑を作る。

・水力発電所を作り、電気を通す。

・『ホテル・ノウチ』を作り、

一部を公共施設として提供した。

など、村の発展に貢献していきます。

 

これらの功績で、

1939年

マチュピチュ地区の行政最高責任者に

任命されました。

 

元々、

手先が器用なこともあったでしょうし、

日本や、アメリカなど

海外で見聞きした

技術を積極的に取り入れる

柔軟な発想力があったんでしょうね。

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初代村長に

 

1947年に、川が氾濫し、

マチュピチュ村は土砂災害が起こります。

 

そこで野内さんは、

政府に対し緊急支援を要請したそうです。

 

当時の新聞記事にも

名前が記載されているとのこと。

 

洪水被害からの復興に尽力した

野内さんは、

 

1948年

”村”に昇格したマチュピチュ村の

初代村長に任命されます。

 

すごいサクセスストーリーですよね。

映画かドラマみたいです。

 

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晩年、そして残したもの

1958年三笠宮崇仁親王がマチュピチュ遺跡

を見学した際、

長女のオルガ・ノウチさんが、

花束を渡したニュースを、

日本にいた親戚縁者が発見し、

大使館を通じて接触があり、

 

1968年

52年ぶりに、日本へ一時帰国します。

 

帰国した際は、

日本のメディアも取材をしており、

半世紀ぶりの帰国ということで、

「今世浦島(現代の浦島太郎)」

と紹介されていたそうです。

 

親戚縁者は、

日本に戻るよう説得したそうですが、

子供たちが待っているからという理由で、

ペルーに戻ります。

 

そして、

ペルーに戻って2ヶ月後に永眠されます。

 

それからしばらく経った2015年、

 

マチュピチュ村は、

同村としては初の友好都市協定を、

野内さんの故郷大玉村と締結しました。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

・海外で成功したいと思い、ペルーに契約移民する。

・暮らしやすくする為、インフラを整備する。

・功績が認められ、村長になる

・野内さんの縁で、

マチュピチュ村と地元大玉村が姉妹都市になった

 

本気で映画にしてもいいくらいの

サクセスストーリーですね。ww

 

初めてペルーに向かったのが、

101年前!!

今みたいに情報も無い状態で、

海外に飛び出せる勇気はすごいですね。

 

真似出来そうもありませんww

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

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