爆報!THE フライデー

小林ハルの経歴,結婚や子供は?瞽女の差別や映画情報や名言

”最後の瞽女(ごぜ)”小林ハルさんが、

爆報!THEフライデーで特集されます。

 

”最後の瞽女(ごぜ)”小林ハルさんの

生い立ちプロフィールや結婚、子供。

また、瞽女の差別や映画の情報。

さらに最後の瞽女”小林ハルさんの名言

などについて調べてみたいと思います。

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最後の瞽女(ごぜ)小林ハルさんの生い立ちや経歴・プロフィール

名前小林ハル
生年月日1900年1月24日
没年月日2005年4月25日
出身地新潟県南蒲原郡井栗村
(現、三条市)
活動拠点新潟県、山形県、福島県
受賞黄綬褒章

小林ハルさんは、

明治33年に新潟の裕福な農家の四人兄弟の

末っ子として生まれます。

 

裕福な家庭の末っ子だったら、

本来だったら、甘やかされて育つ予定

だったんでしょうね。

 

しかし、

生後3ヶ月で、白内障患ってしまい、

両目の視力を失います。

 

さらに、ハルさんが2歳の時に、

可愛がってくれていた父が

他界してしまいます。

また、母親も喘息を患っており、

家族は、

大叔父に養われるようになります。

 

ここからが大変でした。

 

当時盲目の家族がいることは

偏見でみられたことから、

家族はハルさんを

家から出さないようにし、

また人間扱いしなくなっていきます。

 

どのようなことがあったか?

と言いますと、

・名前で呼ばれなくなる

・兄から暴力を受ける

・誕生日を祝われない

などなど・・・

書いているのが、怖くなってきますね。

 

ちなみに、ハルさんは、

晩年老人ホームに入るまで、

ご自身の誕生日を把握されていなかった

そうです。

 

そんな家族が、

占い師にハルさんをみてもらったところ、

『この子は長生きする』

と言われ、

ハルさんの将来の生計を心配するように

なります。

 

この占い師さん、大当たりですね。w

実際、その後小林ハルさんは

105歳の長寿を全うされていますから。ww

 

当時、盲目の方の職業といえば、

鍼灸師さん、按摩(マッサージ)、

琴、三味線など、

かなり限られていました。

 

そこで、ご家族は

鍼灸師にさせようとしますが、

挨拶に行った際に酔った鍼灸師が、

『針で刺すぞ』と言ったため

ハルさんが怖がってしまい、

たち消えになったそうです。

 

小さい子供がそんな言葉言われたら、

そりゃ、怖がりますよね。

 

それならば、三味線、

瞽女だ!ということになり、

三条を拠点とする

瞽女の方に弟子入りさせます。

 

こんな感じで、

人生が決まっちゃうんですね。

時代とはいえ、怖いですね。

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最後の瞽女・小林ハルさんの瞽女(ごぜ)の差別とは?

さて、そもそも瞽女(ごぜ)とは、

どんな職業だったのでしょうか?

 

ルーツは、

室町時代とされていて、

盲御前(めくらごぜん)という名前の

敬称から呼ばれた

盲目の女性芸能者さんのことです。

 

三味線などで弾き唄いを行う、

旅芸人だったそうですね。

 

江戸時代から昭和の中頃まで、

各農村地域では、

娯楽が少ないこともあり、

かなりの盲目の女性の

就業先ともなっていました。

 

そんな瞽女の世界に、

小林ハルさんは、なんと

1905年当時5歳の時に弟子入りされます。

 

そうです、これまでの話は、

まだ5年くらいしか立っていません。ww

 

もうすでに、壮絶な人生ですが、

まだまだです。

 

さて、弟子入りした師匠というのが、

樋口フジという方なんですが、

 

この方が小林ハルさんを、

弟子入りさせる時の条件が、

21年間の年季修行というもの。

 

その間の経費や稽古料の先払いや、

年季が開けるまでにハル側から

弟子を辞める場合は、『縁切り金』

と呼ばれる違約金を支払うことなど

が決められたそうです。

 

家族としては、大金を払ってでも

なんとかハルさんの面倒を見ないで済む

ようにしたかったみたいですね。

 

こわっ!!

 

また病弱だった母親も、

瞽女になることが決まってから

ハルさんに厳しく接したそうです。

 

こちらの方は、

師匠の方から、最初の稽古ができるまでに

何でも一人でできるようにしておくように

と言われたこと。

そして母として、

ご自身が長くないことを悟って、

死んだ後も苦労しないように

厳しく接したそうです。

 

そんなお母さんを当時のハルさんは

憎んでいたそうですが、

実際に巡業に出かけるようになってから

感謝するようになったそうです。

 

そして、1910年、

ハルさんが10歳の時、

お母さんが亡くなられます。

この時、大叔母からは、

代わりに死ねばよかった

と責められたそうです。

 

もう一度、書きますが、

まだ、10歳です。

 

恐ろしいですね。

 

さて、話を戻して、

弟子入りした

この樋口フジという方がかなり、

ヤバかったんです。

 

1908年にハルさんは

樋口フジさんと姉弟子と初めて巡業に

出かけることになります。

その際、ハルさんは師匠フジの荷物を

担いで移動されていたそうです。

それを見た人から同情の声が上がると、

フジから怒られ、また、

ハルさんが褒められると嫌味を言われ、

食事も、自分たちはおかずを食べながら、

ハルさんだけ、ご飯と味噌汁と漬物しか

許されなかったそうです。

また、

ハルさんがご祝儀を多く貰うと、

難癖をつけ、杖で叩いていたそうです。

 

また、1911年に巡業に向かった先で、

フジから教わっていない唄を

唄ったそうで、それが気に入らない

フジは、その後別の村に移動中に

山の中に置き去りにされ

一晩山で夜を明かしたそうです。

 

11歳の盲目の少女が山のなかに

お機材理にされ、一晩明かす。

 

パワハラなんていうレベルでは

ないですね。

 

これらのひどい仕打ちは実は、

フジが、ハルさんの実家から、

縁切れ金をむしり取る為に

していたんだそうです。

 

その後もフジから激しいイビリが

続いていたそうです。

そして、妹弟子が入ってくると、

ハルさんは巡業から外されてしまい、

実家に戻ったハルさんは、

大叔父に連れられて、

巫女さんに占って見たところ、

「苦労するばかりだから、

引き取ったほうがいい」

と言われ、

また廃業する姉弟子の一人が、

ハルさんの身を案じフジに働きかけ

フジの方から暇を出す形で、

1915年15歳の時、

師弟関係を切ることができたそうです。

 

よかったですね。本当に。

 

ちなみに、この時、

フジの体罰によって、

ハルさんのスネの骨には、

無数のヒビが入っていたそうです。

小林ハルさんの結婚や子供は?
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